本日二話目の更新です(一度やってみたかった
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ソシャゲでヒットすると学術書が売れる。つまり収入を増やしたい研究者はソシャゲの企画立案を……
昔、人材を確保したいってゲーム作った組織があったな。アメリカ陸軍っていうんですけどね。軽く炎上していましたが。/* オンラインサーバー、明日(5月5日)で停止だそうだ */
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A「この鳥の種類は何でしょう?」
B「クロコンドルに見えるわね」
A「ああ、あなたのお気に入りの鳥ですね」
A「……いえ、あなたが一番好きな鳥はチキンですね」
飛行機から鳥の痕跡(羽根とか)が見つかったらスミソニアン博物館に送られてくる(1日に何通も)。もちろん展示が目的ではなく、その羽根から鳥の種類を判定してもらうのが目的。鳥の種類がわかれば習性がわかるから事故防止や鳥との共存に活用できる。
冒頭のシーンで「未だにネタにされるラングレーさん(´;ω;`)」と思って見始めたのに全然関係なかった(場所が違う)。
ラングレー(人名)の飛行機って、意外とラングレー(地名)に近い場所でやってたんだな。スミソニアン博物館の近くを流れているのがポトマック川で、10マイルほど遡上した場所にあるのがジョージ・ブッシュ情報センター、いわゆる「ラングレー」と言われる場所(地名は1700年代半ばか遅くとも1800年代には命名されていたらしい)。
もっとも、ちゃんと調べてはいないけど、ラングレーの飛行機は上流側(ラングレー付近)ではなく下流側だったんじゃないかな?
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「ほら、食べるか?」
Spotが公園の掃除とかに導入されると、通行人がエサを与えようとして顔に近づけたら、生ゴミだと誤認されてそのまま背中に載せたゴミ箱に投げ込まれるみたいな事態は起こりそうだ。
いつだったか、動物や植物を食べて活動するロボットの研究なんてものがされていたなぁ。いや、今もやってる人達はいるんだろうけど、当時話題になったのは軍用ロボットのエネルギーソースをどう確保するかという文脈で、「戦場で回収できる動植物」とは一体なんぞや、とセンセーショナルに報じられていたような記憶が。
公園の管理を担うロボットが、人間が置いていった食べ残しや芝を食べて活動できるってのは夢のような話だが、少なくともボルトやナットを食べることはあるまい。
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vortex tubeでPCを冷却
冷気をCPUチップに直接吹き付けるというのは良いやり方とは思えないなぁ。熱交換の効率が低すぎるはず。少なくとも水冷用のウォーターブロックみたいなラビリンス(熱デバイス)を経由するべきだと思う。
空冷用のヒートシンクを使う場合だと、vortex tubeから例えば5℃の空気を吐き出せば室温が20℃程度下がるのと等価なので、その気流をCPUのヒートシンクに当ててやれば、CPUの温度も20℃下がるはず。ファンが流す流量よりもvortex tubeから出てくる流量が大きければさらに温度は下がるし、冷気側の温度を更に下げてもいい(十分なエアドライヤーがないと氷結するけど)。
冷気の流量と温度は非線形だろうし、流量とヒートシンクの熱交換能力も非線形だろうから、vortex tubeでCPUを冷やそうとすれば、そのあたりのチューニングが必要になるはず。既存の熱交換器を除去して冷気を吹き付けるだけでCPUが吐き出す熱を奪えるほど簡単なものじゃないはず。
まぁ、ネタに走ったユーチューバーならこんな結論かな、という納得感のある動画ではある。
日本だと例えばTRUSCOのAJ-Cが9千円弱で売っているから、せっかくだし、気が向いたら買って試してみようかな。
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スペースシャトルに関する話
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl1962/23/1/23_1_141/_pdf
1984年 著者はNALの人(NASDAじゃない)
前半で打上げ時のアボート軌道の説明とか、中盤に耐熱材料、後半に着陸時の航法系。
再突入時の加熱が大気との摩擦熱と書かれている。NASDAじゃないとはいえ、飛行機の加熱現象だって断熱圧縮が支配的なはずなので、NALでも加熱は圧縮として扱うはずなんだが。JALの用語解説でも超音速の加熱を摩擦で説明しているし、HYFLEXのNASDAの資料でも摩擦熱として説明しているので、昔は断熱圧縮や摩擦熱は特に区別せず処理していたのかも。
スペースシャトルは進入角度が高いので民間機用の計器着陸装置が使えないから、専用の航法機器が使われている。ブラックアウトを抜けて、飛行機として飛び始めた初期はTACANと気圧高度計で慣性航法装置の誤差を吸収。地上の支援設備の近くまで来ると、独自のシステムで仰角(Az)・方位(El)・距離(Ds)の計測が行われる。
Az/El/Dsの識別はパルス幅変調で行われる。Az/Elの角度のエンコーディングはパルス周期変調で行われる。Elは仰角のみだが、Azは滑走路延長線上を中心に右側と左側で異なるパルス幅が与えられる。Az/Elはファンビームを5Hzでスキャンすることで行われる。ビームの広さは40度/30度、厚さ方向は0.2度程度。
距離の計測は「DME」とは書かれているが、おそらく飛行機のDMEとは別物。単に「距離を測定するための装置」の意味で使っているはず。動作も飛行機のDMEとはかなり異なる。まず地上からパルスが送られ、前述のパルス幅変調で測距パルスと確認したら、オービタから応答パルスを折り返す。地上側は応答パルスを受信したら再びオービタへ折り返し、オービタは自身が折り返してから応答が返るまでの時間で、測距を行う。最初に地上から1発打つのは抑圧対策のTDMA目的じゃないかな。1.5往復させると地上側でもオービタとの距離を計測できるけど、測角はできないから、このあたりはまとめてテレメで下ろしているはず。
Az/El/Dsは15GHz付近を使用しているらしい。ブラックアウトは周波数が高いほど影響が少ないらしいから、ブラックアウト対策でV/UHFを避けているのかと思いや、15GHz系で捕捉する前にTACANを使うから、ブラックアウトを抜けるタイミングはTACAN(UHF)に影響される。15GHzを使うのはファンビームの形を整えたり、帯域幅を稼いで測距精度を改善するする程度の意味しかないような気がする。あとは既存システムとの互換性がいらないから設置の自由度が高い(使いたいときに使いたい場所へ移して使える)、程度か。
宇宙機でGPSが使われるようになったのはスペースシャトルの初飛行の翌年、十分な数の衛星がサービスインしたのはさらにその後だから、スペースシャトルの設計時点ではGNSSなど望むべくもなく。
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https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/94/3/94_3_193/_pdf
1973年
航空機関係の無線システムの解説。
SSRのモードがA,B,C,Dの4種類が用意されて、Bも使用されていた頃の話。結局モードBは普及しなかったが。
VOR/DMEはVHF/UHFを使用しているので周囲の影響を受けやすいから、マイクロ波を使用する新方式への変更が必要、と書いている。当時、すでにD-VORは存在していたが、過渡的な用途にしか見ていなかったようだ。D-VORが放送する電波はC-VORにも互換性はあるが、D-VORを使用するには地上側・航空機側共に対応した機材が必要になる。D-VORが普及する前にマイクロ波システムが出てくる、みたいな見通しだったのかな? 結局、50年近く経った今でもVOR/DMEの使用が続けられている。電子機器の発達とかで精度が向上してきたというのもあるだろうし。
まえがきで、国際的に同一の方式を採用する必要がある、と書いている通り、航空機のシステムはそう簡単には置き換えることができない。もっとも、アメリカみたいに国内限定でADS-Bの使用を要求している場所もあるけど(それにしたって既存システムが十分に普及したから必須化しただけで、全く新しいシステムに完全移行しているわけではないし)。
洋上の航空機等に対して、静止衛星でトランスポンダを受信して位置を把握する、みたいなシステムの提案もある。「1980年代の実用に備える」とのこと。なお、日本が静止衛星を初めて打上げたのは、この論文より後の1977年(きく2号)である。世界初の静止3軸姿勢制御は74年のATS-6だから、この当時は実用的な静止衛星といえばスピン衛星しかないし、それにしたって運用寿命はそう長いものでもなかったはず。それでも提案されているところを見ると、よほど欲しかったんだろうな。まぁ、スピン静止衛星なら、それはそれでファンビームで東西方向に走査しながら3/A,B,Cを受信する、みたいなシステムは作れそうな気がしないでもないけど、とはいえ距離が距離だからなぁ。
同様の目的のシステムは、例えばIridiumNextに搭載されたAireon社のADS-B受信機がある。2017年に構築されたシステムだから、衛星ベースの全球航空機監視の実現に40年近くを要している(実験的なシステムだとESAが2013年に打ち上げたPROBA-Vとか、もう少し早い)。
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https://www.jstage.jst.go.jp/article/jieij1980/69/4/69_4_168/_pdf
1985年
PAPIの話題。
航空機のナビゲーション類はENRIあたりが関わっていそうなイメージだけど、PAPIは発光機器なので照明学会が担当している。照明というと周囲を照らすものなイメージだけど、光を制御して利用するもの全般が含まれているイメージかな。
グライドスロープの角度の設定の理由とか。プロペラ機では2°30'だったが、ジェット機では3°00'に変更された(進入角が0.5度深くなった)。3度だと高度1に対して距離が20になるから、速度(kt)の5倍(半分にして10倍)の降下率(ft/min)を維持すればいいことになり、計算が楽なんだそうだ。例えば進入速度140ktなら700ft/minで進入する。厳密には1nmは6000ftではないし、風の影響もあるだろうけど、それを補正するためのPAPIなので、そこまで厳密性な配置は必要ないのだろう。
本文でも申し訳程度に触れられているけど、将来的にSTOL機が実用化されれば、進入角は変更される可能性がある。飛鳥の飛行試験では6度が使用されていたが、この場合は速度(kt)の10倍の降下率(ft/min)だから、計算がより簡単になる(160ktなら1600ft/min等)。
しかし、あと30年くらいは、進入角3度前半が使われるのであろうな。むしろ滑走路長が大きく取れない小空港(ローカル線)でこそ機材のリプレイスやそれに合わせたSTOL化、低騒音を目的にした高進入角、みたいになっていくのかな? ローカル線なら全部国内の機材だから国際的な調整がいらないし。もっとも、このあたりはVTOLとかが使われるようになるのかもしれないけど。
VTOLは推力全損時に滑空できないのが怖いから市街地の近くではなー、と思ったけど、それはSTOLも同じか。
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GPSアート、1993年3月9日(8日?)に当時の運輸省第四港湾建設局(四建、現在の国交省九州地方整備局)が描いたものがあるらしい。東西7m、南北9mほどと、GPSアートとしては非常に小さいながらも、絵の枠やそれに収まるヨット、Yonkenの文字や日付などがRTK-GPSを使用して精密に描かれている。関門海峡を浚渫するために精密な位置決定が必要で、そのためにRTKを研究していたようだ。
世界的に見て、GPSアートはReid Stoweが1999年に書いたものが最初らしい。日本語版Wikipediaによると、日本人が最初に書いたのは2001年とのこと。これらは「GPSを使用した巨大なアート」というくくりによるものだと思うが、その範囲には入らないとしても、日本の行政機関が1993年にGPSアートを描いていたのは、結構すごいことじゃないか?
Stoweはヨットで航海をした際にGPSアートを描いたが、四建はヨットの絵を書いている。水域という、固定点が存在せず、自身の居場所を知ることすら困難な分野の人達が、GPSのように悪天候にも影響を受けない精密な測量システムを求めていた欲求みたいなことなのかな。
海上作業船の位置測量のためのリアルタイムGPS測量システムの開発
History of RTK—Part 1: A Really Tough Problem to Solve - The American Surveyor
アメリカでも浚渫や測量を目的に研究が行われていて、商業的に初めて発売されたRTK受信機は1993年だそうだ。アメリカの場合、水路に対して陸軍の影響力が大きく、浚渫も陸軍工兵が行っているらしい(州の仕事にすると州境の川や湖で揉めるから、合衆国の業務として行う必要があったのだろう)。その関係でGPSによる精密測量に関する研究にも陸軍が関わっていたようだ(GPS自体は空軍のシステムであるにも関わらず)。
RTKの開発期(80年代後半から90年代前半)は様々な組織や個人が開発競争を行っていたようだから、その中の誰かがリアルタイムにアンテナを移動できることに着目して絵を描こうとした人が同時多発的に出てきた可能性もある。その一つが旧運輸省だが、これに限定する根拠はない。同時期にいくつかのGPSアートが存在していたかもしれない。あるいは、RTKではなく、DGPSや単独測位で描かれたものがさらに遡るかもしれないし(DGPSや単独測位では精度が出ないから、必然的に巨大なアートになる)。
とはいえ、大きさを限定せずに「衛星測位システムで描かれた絵」という分類であれば、少なくとも1993年3月には描かれていたわけだ。
GPSのIOCが1993年12月、FOCが95年4月だから、RTK関連の研究やドローイングはIOCが宣言される前から開始されていたということになる。
年度で言えば1992年度なので、ちょうど今年度が30年目にあたる。国交省で「旧運輸省GPSアート30周年記念イベント」みたいなのを企画しても面白かっただろうなー。ちょっと気がつくのが遅かった。
誰か覚えていたら2042年度あたりで「GPSドローイング50周年記念イベント」みたいなのを企画してくれないかな。日本全国を歩き回って描いたりしてもいいし、順調に宇宙開発が進んでいればこの時代なら月面向けの測位システムだって整備されているだろうし。
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小ネタ中の小ネタ
1950年頃までの電磁気学界隈の話、面白い話もっとたくさんあるはずなんだけどなぁ。
キャベンディッシュが電気抵抗の法則を発見したのは1780年代前半だから、1800年頃のボルタ電池よりも早い。つまり電池がなければオームの法則を発見できなかった、という説明は誤りのはず。雷電瓶でひとボケかましても良かったんじゃないかなー。他多数
探査機の測位の話で「IAU」という不思議な単語が出てきて首を傾げる。国際天文学連合? 確かに宇宙の話題だけど、探査機の工学系の論文だぜ…… エウレカ! これは「1AU」の意味なのか!! 探査機の測位で「1天文単位」という値が出てくるのには納得感がある。それをローマ数字で表記すると「IAU」になる。なんでローマ数字にしたのかはわからんが。
とある本を読んでいたら、すべて大文字アルファベットで記される略称(固有名詞)の途中のIのフォントが変で、おそらくローマ数字として用意されたフォントが紛れ込んでしまったんだろうな。前回のイリューシンとか、ローマ数字はわりと混ざりやすいようだ。今どき手書きで原稿をやり取りするものでもないだろうし、キーボード入力なら意図的に入力しない限りローマ数字なんて入らないと思うんだけど、どうして頻繁に入り込むんだろう? Wordの機能とかで勝手に変換されるの?
1990年代のLORAN-Cの日本への移管に関する話。「国体化送信装置」というのが頻出する。おそらく「固体化送信装置」の誤植だと思うんだけど。/* L-C、100kHzの1MW。ちょっと出力は高いけど、AM放送と違って連続送信でもないし、固体化しやすそうではあるかな。時期も時期だし */
NASDAのHYFLEXの資料、打上げはJ-Iロケット(固体燃料)だけど、回線設計で「固体ロケット特有の噴煙損失」という記述が出てくる。ということは、純粋な液体燃料のプルームでは損失は発生しないんだろうか?
前々回、高温な排気ガスがプラズマ化したものが原因であって固体・液体は関係ないはずだ、みたいな結論で納得していたはずなんだけど、また振り出しに戻ってしまった。あるいは、当時の日本のロケットはT-0で純粋な液体で飛ぶロケットは作っていないはずだから、すべて固体燃料特有の事象として処理していたんだろうか?
純粋な液体燃料か…… 海外だといろいろあるけども。日本だとMOMOとか? /* OpenMOMOでググったら最近も更新してるらしくて某社さすがやなと思ったら全く無関係の同名プロジェクトだった。。。 */
宇宙船の大気圏再突入時の温度とロケットの排気ガスは、温度のオーダーは近いはずだから、固体だろうと液体だろうと関係なく、プルームの減衰はありそうな気がする。SpaceX/Falcon9のライブ配信で着陸時の中継が途切れるのはプルームにガッツリ入り込むからだろうし。日本のロケットで液体と固体が区別されているのは、地上施設の配置とか、ロケットの大きさ(固体ロケットは比較的小型なのでプルームとアンテナが近い)みたいな影響の気がする。
TACANの動作原理がいまいちよくわからない。DMEの応答の周波数でベアリングも放送しているんだろうか? 国内だと航空自衛隊基地とかにいくつか設置されている程度だからか、ちゃんとした資料もほとんど出て来ない。
北海道だと千歳と十勝に1基ずつあるはず。SDR持っていけば受信できるだろうけど、さすがに遠いなぁ。
TACANは周波数の設定は比較的単純。VORとDME(TACAN)も比較的単純な組み合わせ。一方でILSのグライドスロープはかなり不思議な場所に入っている。規則性があるようで、なさそうな気もする。計算的にやるよりテーブル引くほうが楽そう。チャンネルも40chしか割り当てられていないし。
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