2019年1月14日月曜日

セトリング

 ロケットや人工衛星のエンジン・スラスタは、"セトリング"という機能が必要な場合が多い。ある特定の条件を除き、それ以外の大部分では何らかの方法で対策する必要がある。

 まずセトリングの意味だが、"settling"と書き、沈殿や沈下といった「沈む」といったニュアンスがある。例えば沈殿槽はそのままsettling tankと書くし、「データが安定する時間」をsettling timeと言ったり、有床義歯(入れ歯)が安定することをsettlingと言ったりもするらしい。
 ロケットのセトリングもだいたい同じようなニュアンスで用いられる。

 そもそも、ロケットやスラスタは基本的に無重力で使用される。ロケット第1段は点火時に1g加速度がかかっているが、これはロケット全体の中でも非常に限定的で特殊な状況。2段式や3段式のロケットはそれぞれの段を点火する際は無重力だし、第2段等の再着火の際も無重力状態で点火する。

 ご存知の通り、無重力中での液体は、狙ったとおりの動きをさせるのは難しい。おそらく宇宙船にペットボトルを持ち込んでも、中身を飲むのは至難の業だろう。地球のように、上を向けば液体が出てくる、ということはない。
 これはロケット燃料も同様で、何らかの方法で押し出す必要がある。
 押し出すと言っても、ただガスで押すだけでは不十分で、液体がタンク壁面に張り付いている場合にはガスが排出ポートから流れ出て、十分に液体が流れない可能性がある。
 それを防ぐためにはいくつかの手段があるが、その一つとしてセトリングが使用される。

 方法は簡単で、スラスタを下に向けて吹いて、下方向に見かけ上の重力を作ってやればいい。スラスタを吹いている間は加速度が発生し、その間はタンクの液体がタンク底面に沈下する。
 その状態で大きなエンジンに点火すれば、十分に大きな加速度が発生するから、以降はスラスタを吹く必要はない。

 「ちょっとまて、スラスタを吹くだって?その燃料はどうするんだ!」と気がついた人は鋭い。
 セトリングが必要になるのはある程度大きなエンジンの場合のみで、小型のスラスタの場合は他の代替手段を使用できる。そのため、スラスタを吹く際はわざわざセトリングする必要はなく、セトリングの手段としてスラスタを使用できる。

 無重力下で推進剤を取り出す方法としては、毛細管現象を利用してタンク壁面に張り付いた推進剤を取り出す、という方法がある。これなら無重力でも使用可能だが、毛細管現象という小さな現象を使う以上、大量の推進剤を取り出すことはできない。
 他には、タンク内にゴム膜(ゴム風船)を入れて、その中では液体だけを扱うことにより、確実に液体が出てくるようにする、という方法がある。ただし、この方法はすべての流体を扱うことはできない。酸化剤のような過激な液体はゴムの使用は適さない。
 金属膜を使う方法もあり、こちらは酸化剤にも使用可能だが、再使用が不可能なため、事前のテストができず、信頼性が欠ける面がある。

 あかつき(MUSES-C)は燃料にゴム膜、酸化剤は特に対応なし、かぐや(SELENE)は燃料に表面張力式デバイス、酸化剤には特になし、という構成のようだ。
 あかつきもかぐやも質量こそ6倍ほど違うが、両機ともに500Nスラスタ1機と中型(S:20N/C:23N)が8機、小型(S:1N/C:3N)が4機と、ほぼ同じような構成になっている。

 あかつきのOME(Orbit Maneuvering Engine:軌道変更エンジン)は推薬流量154g/sに対し、スラスタ(23N100%)は8g/sと、およそ20倍程度の差がある。OMEはミッション期間全体でもごく一部の軌道変更で使用するだけだから、わざわざそのために毎秒数百グラムを流せるデバイスを追加するのは割に合わないのだろう。それなら、スラスタ数機を噴射できる程度の仕様にしたほうが軽量化できる。

 あかつきもかぐやもセトリングには20N級スラスタ4機を使用して行われるが、あかつきはセトリング3秒、かぐやはセトリング40秒と、大きな差がある。
 あかつきは質量500kg程度のため、23Nx4では0.18m/s^2程度の加速度になる。
 かぐやは質量3000kg程度のため、20Nx4では0.026m/s^2程度の加速度になる。
 かぐやの加速度はあかつきの7分の1程度だが、かぐやはあかつきよりはるかに多い液体を持ち、その分タンクも大きいから、安定させるための時間もより長くかかり、その結果、あかつきより13倍も長いセトリング時間が必要になった、と思われる。

 セトリングは衛星にだけ必要な機能ではなく、H-IIAロケット等でも行われているようだ。「セトリングを行っている」という記述は見つけたが、どのように行っているかについての資料は見つけられなかった。

 ちなみに、大推力のエンジンが必要なのは、静止軌道であれば遷移軌道からの静止化の際、月探査衛星であれば月周回軌道への遷移の際に使用されるのみで、それ以降は使用されないため、以前に紹介したパイロ弁で酸化剤のラインを閉鎖することにより、不要なリスクを低下させるような運用になっている。

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