[日本のラジコンの歴史と世界の現状](https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/8/3/8_158/_pdf)
2014年頃
ゴム動力から2.4GHzまでの大雑把な歴史。最後に年表とか。
海外で主流のモード2の説明。「実機と同じ操縦系」という説明に納得。なるほどなぁ。
しかし、日本でも戦前は実機の操縦を行う機会は結構あったらしいけど、戦後にラジコンが入ってきて実機と同じ操作系が使われなかった理由は何だろう? 終戦からプロポーショナル方式が出るまで20年~かかってるから、さすがに実機の操作系を使おうというほど、実機を飛ばしていた人間がいなかった、ということか?
無線操縦の歴史だと、1800年代末から1900年代はじめにかけて大きく進化している感じ。特に真空管の発明が大きそうだ。とはいえ、自在に操作するとは程遠いわけだが、図4で説明されているような機構で操縦を行っていたわけだから、当時の人はすげーなーと感心するばかり。
当時から見れば今のドローンみたいに勝手に飛んでくれる飛行機は魔法みたいなものだろうなぁ。もっとも、当時の機体は安定性は極めて強いだろうから、手放しでもかなり素直に直線飛行してくれそうだけど。とはいえ、無線系が不調で操縦できなかった場合に備えて、ある程度の大きさの半径で旋回するような調整にしてあったりするのかな?
ところで、ケタリングバグは1918年頃だそうなので、ラジコンの年表からするとコヒーラ検波器を使っていた時代か。一応無線操縦はなかったわけではないけど、実用的に使えるほどではなかった時代。
当時でも、「進路を一定に保つ」「気圧高度を一定に保つ」「一定距離を飛行した後に落下させる」という機能は作れていたわけだ。模型飛行機に使えるような代物ではないだろうけど。
ケタリングバグでも、今で言うウェイポイントみたいな機能も作れそうな気はするけど、風の影響とかを考えれば、そこまで複雑なシステムを作る必要性も少なかったんだろうな。そもそもシンプルな機能のケタリングバグでも大変だったようだし。
ところで、どうして無人航空機の歴史を調べているかというと、ハイスクール・フリートの世界線の考察なわけだが、どんどん迷走していってる感が高まる。
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